穂高連峰に登る
穂高岳の旅。18座目は北アルプス南部に位置する穂高岳(ほたかだけ)に行ってきました。北アルプス最高峰にして日本第3位の標高を誇る穂高岳は、3000m級の峰々によって圧倒的なスケールで立ちはだかる岩壁が、登山者を惹きつけてやまない雪と岩の名峰である。
穂高岳の旅。18座目は北アルプス南部に位置する穂高岳(ほたかだけ)に行ってきました。北アルプス最高峰にして日本第3位の標高を誇る穂高岳は、3000m級の峰々によって圧倒的なスケールで立ちはだかる岩壁が、登山者を惹きつけてやまない雪と岩の名峰である。

北アルプス(飛騨山脈)
日本列島の中央部に連なる北アルプスは、東西約25キロ、南北約105キロにわたる広大な山域で、昭和9年に中部山岳国立公園に指定された。北アルプスは大きく南部と北部に分けられる。北部は富山県、新潟県、長野県にまたがり主に立山(たてやま)連峰と後(うしろ)立山連峰から成り立つ。対して南部は岐阜県と長野県の県境に位置しており、主に槍(やり)・穂高連峰から成り立っている。日本の山岳で標高3000mを超える高い山は21座。そのほとんどは南アルプスや北アルプスの中部山岳エリアに集まっているが、特に北アルプス南部の槍・穂高連峰には8座と多く集中している。
日本列島の中央部に連なる北アルプスは、東西約25キロ、南北約105キロにわたる広大な山域で、昭和9年に中部山岳国立公園に指定された。北アルプスは大きく南部と北部に分けられる。北部は富山県、新潟県、長野県にまたがり主に立山(たてやま)連峰と後(うしろ)立山連峰から成り立つ。対して南部は岐阜県と長野県の県境に位置しており、主に槍(やり)・穂高連峰から成り立っている。日本の山岳で標高3000mを超える高い山は21座。そのほとんどは南アルプスや北アルプスの中部山岳エリアに集まっているが、特に北アルプス南部の槍・穂高連峰には8座と多く集中している。

穂高岳とは
穂高岳の多くを構成する穂高安山岩郡は、溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)という火山灰が高温で溶けて圧縮された固い火山岩を主体としている。隆起(りゅうき)運動によって高く持ち上げられ、さらに激しい侵食をうけて形成された、切り立った岩壁や鋭い稜線が特徴的だ。また、穂高岳とは山単体の名称ではなく、穂高連峰に連なる山々の総称である。奥穂高岳(3190m)を主峰とし、氷河によって侵食、形成された国内最大級の氷河地形である涸沢(からさわ)カール(※圏谷とも言う)を中心に、北穂高岳(3106m)や涸沢岳(3110m)、前穂高岳(3060m)と少し離れた西穂高岳(2908m)などの峰々が、稜線によって繋がっている。
穂高岳の多くを構成する穂高安山岩郡は、溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)という火山灰が高温で溶けて圧縮された固い火山岩を主体としている。隆起(りゅうき)運動によって高く持ち上げられ、さらに激しい侵食をうけて形成された、切り立った岩壁や鋭い稜線が特徴的だ。また、穂高岳とは山単体の名称ではなく、穂高連峰に連なる山々の総称である。奥穂高岳(3190m)を主峰とし、氷河によって侵食、形成された国内最大級の氷河地形である涸沢(からさわ)カール(※圏谷とも言う)を中心に、北穂高岳(3106m)や涸沢岳(3110m)、前穂高岳(3060m)と少し離れた西穂高岳(2908m)などの峰々が、稜線によって繋がっている。



玄関口 上高地
上高地は、北アルプス南部の長野県側、梓川(あずさがわ)上流にある年間120万人もの観光客が訪れる山岳景勝地(さんがくけいしょうち)である。標高は約1500mで全域が松本市に属している。宿泊施設に温泉あり。穂高神社の奥宮や、湿原をめぐるハイキングコースも整備されていて、気軽に自然を楽しめる。また上高地自体は観光地だけでなく、穂高連峰や槍ヶ岳(やりがたけ)への玄関口の役割も果たしており、日本でも希少な特別名勝(とくべつめいしょう)および特別天然記念物として指定されている。
上高地は、北アルプス南部の長野県側、梓川(あずさがわ)上流にある年間120万人もの観光客が訪れる山岳景勝地(さんがくけいしょうち)である。標高は約1500mで全域が松本市に属している。宿泊施設に温泉あり。穂高神社の奥宮や、湿原をめぐるハイキングコースも整備されていて、気軽に自然を楽しめる。また上高地自体は観光地だけでなく、穂高連峰や槍ヶ岳(やりがたけ)への玄関口の役割も果たしており、日本でも希少な特別名勝(とくべつめいしょう)および特別天然記念物として指定されている。



涸沢カール
氷河が作り上げた巨大な圏谷。秋には日本一の紅葉とも称されるこの氷河地形には、崖錐(がいすい)やモレーンなどの特長を見ることができる。その崖錐による脆い地形が故に、涸沢より先の白出のコルへ上がる為には、ザイテングラードと呼ばれる支稜(しりょう)に取り付き、岩場を踏破する必要がある。
氷河が作り上げた巨大な圏谷。秋には日本一の紅葉とも称されるこの氷河地形には、崖錐(がいすい)やモレーンなどの特長を見ることができる。その崖錐による脆い地形が故に、涸沢より先の白出のコルへ上がる為には、ザイテングラードと呼ばれる支稜(しりょう)に取り付き、岩場を踏破する必要がある。

〇崖錐(がいすい)
岩の隙間に入り込んだ水分が凍結すると、その体積が増し、凍結破砕(とうけつはさい)作用によって砕かれた岩が落石となって積み重なり、もろい斜面が形成される。崖錐斜面の傾斜は35度。これは安息角(あんそくかく)といわれ、土砂などが崩れ落ちないでいられる最大角度のこと。そこは足をのせると崩れだすような危険な斜面である。
〇モレーン
堆石(たいせき)、氷堆石(ひょうたいせき)の事。氷河が谷を削りながら時間をかけて流れる時、削り取られた岩石・岩屑(がんせつ)や土砂などが土手のように堆積した地形のこと。
〇ザイテングラード
支稜(しりょう)の事。山の主稜線から分かれて伸びる尾根を指す。

〇崖錐(がいすい)
岩の隙間に入り込んだ水分が凍結すると、その体積が増し、凍結破砕(とうけつはさい)作用によって砕かれた岩が落石となって積み重なり、もろい斜面が形成される。崖錐斜面の傾斜は35度。これは安息角(あんそくかく)といわれ、土砂などが崩れ落ちないでいられる最大角度のこと。そこは足をのせると崩れだすような危険な斜面である。
〇モレーン
堆石(たいせき)、氷堆石(ひょうたいせき)の事。氷河が谷を削りながら時間をかけて流れる時、削り取られた岩石・岩屑(がんせつ)や土砂などが土手のように堆積した地形のこと。
〇ザイテングラード
支稜(しりょう)の事。山の主稜線から分かれて伸びる尾根を指す。

登山ルート

北アルプス南部エリアは、日本海から吹き付ける季節風の影響を受ける北部とは違い、冬の降雪量はそれほど多くはない。梅雨明けとともにほとんどのルートが登山可能になる。大半の山荘はゴールデンウィークから10月上旬まで営業していて数も多く、3000m級の山岳としては比較的登山期間が長い。 奥穂高岳に登るルートは主に二つ。横尾、涸沢を経由して踏破するコースと、岳沢(だけさわ)から、重太郎新道(じゅうたろうしんどう)を進み、踏破するコースだ。どちらも上高地を起点としたルートだが、上高地から一気に上り詰める重太郎新道は、急峻(きゅうしゅん)で高低差もある上に、ハシゴやクサリが多い岩稜(がんりょう)コースだ。沢づたいに谷を巻き込むように、横尾から涸沢へアプローチする方が比較的、踏破しやすいと言える。 登ったのは5月のゴールデンウィーク。北アルプス北部ほど雪の影響は無いとは言え、残雪量は多く、アイゼン・ピッケルに加えてヘルメットは必須。ゴールデンウィークに営業している山荘の確認・予約を行い、2泊3日の行程を組んだ。
北アルプス南部エリアは、日本海から吹き付ける季節風の影響を受ける北部とは違い、冬の降雪量はそれほど多くはない。梅雨明けとともにほとんどのルートが登山可能になる。大半の山荘はゴールデンウィークから10月上旬まで営業していて数も多く、3000m級の山岳としては比較的登山期間が長い。 奥穂高岳に登るルートは主に二つ。横尾、涸沢を経由して踏破するコースと、岳沢(だけさわ)から、重太郎新道(じゅうたろうしんどう)を進み、踏破するコースだ。どちらも上高地を起点としたルートだが、上高地から一気に上り詰める重太郎新道は、急峻(きゅうしゅん)で高低差もある上に、ハシゴやクサリが多い岩稜(がんりょう)コースだ。沢づたいに谷を巻き込むように、横尾から涸沢へアプローチする方が比較的、踏破しやすいと言える。 登ったのは5月のゴールデンウィーク。北アルプス北部ほど雪の影響は無いとは言え、残雪量は多く、アイゼン・ピッケルに加えてヘルメットは必須。ゴールデンウィークに営業している山荘の確認・予約を行い、2泊3日の行程を組んだ。



旅のチェックポイント
・公共交通機関の場合。松本方面、平湯温泉(ひらゆおんせん)方面から上高地バスターミナルまで共に一般路線バスが運行している。
・マイカー利用の場合。上高地へは年間を通してマイカーでは入場不可。自家用車(レンタカー、自動二輪を含む)は、釜トンネルより先は通行禁止のため、 松本市方面からは沢渡(さわんど)駐車場、 高山市方面からはあかんだな駐車場を利用し、駐車場からシャトルバスまたはタクシーを利用する。
・連休は特に混むため、山荘の予約は早めに行う事。
・穂高岳一帯と涸沢ヒュッテより上部はヘルメット推奨地区である。
・公共交通機関の場合。松本方面、平湯温泉(ひらゆおんせん)方面から上高地バスターミナルまで共に一般路線バスが運行している。
・マイカー利用の場合。上高地へは年間を通してマイカーでは入場不可。自家用車(レンタカー、自動二輪を含む)は、釜トンネルより先は通行禁止のため、 松本市方面からは沢渡(さわんど)駐車場、 高山市方面からはあかんだな駐車場を利用し、駐車場からシャトルバスまたはタクシーを利用する。
・連休は特に混むため、山荘の予約は早めに行う事。
・穂高岳一帯と涸沢ヒュッテより上部はヘルメット推奨地区である。
登山録
PROLOGUE
去年(2024年)の5月に踏破した利尻山(りしりざん)が忘れられず、残雪登山に魅了されてしまった。山と渓谷社「雪山登山ルート集」を参考に、今回の旅のヒントを探しているところだった。
本:[本書では入門、初級に加えて中級を上限とし、中級をはるかに超える上級の登山ルートは取り扱わない事とする]
カネシ:なるほど。ピックアップされた山ごとに特徴が書かれているのか。中級が上限で星の数だけ難易度が高く、最大値は星4つ。
本:上信越・尾瀬
至仏山(しぶつざん)[初級][日帰り]
技術☆☆体力☆☆
カネシ:前々から気になっていた至仏山は初級か。日帰りなら軽荷で楽しめる上に、残雪期限定のルートは魅力的だな。
本:北アルプス
奥穂高岳(おくほだかだけ)[中級][2泊3日]
技術☆☆☆☆体力☆☆☆☆
カネシ:北アルプス…。技術、体力、共に上限の星4つ。いつかは行ってみたい憧れの山。まあ、無理だよな。
本:北海道
利尻山(りしりざん)[中級][日帰り]
技術☆☆☆☆体力☆☆☆
カネシ:おどろいた。去年登った利尻山は中級か。日帰りだけど行程も長くて大変だったからな。俺たちよく頑張ったよ。でも、技術的に奥穂高岳と同レベルであれば、残雪の北アルプスもチャレンジ可能って事になるぞ。
本:[中級は、ルートの所要時間が長いか、もしくはピッケル、アイゼンを本格的に使用する]
カネシ:フムフム。つまり利尻山の所要時間の長さに加えて、どれだけ険しいルートなのか。そこが奥穂高岳を踏破するポイントって事か。ピッケル、アイゼンを本格的に使用するって、いったい何だろう。
本:[山頂手前の雪壁(せっぺき)でのアイゼンワーク。また、長い急斜面と雪壁で体力を使う]



去年(2024年)の5月に踏破した利尻山(りしりざん)が忘れられず、残雪登山に魅了されてしまった。山と渓谷社「雪山登山ルート集」を参考に、今回の旅のヒントを探しているところだった。
本:[本書では入門、初級に加えて中級を上限とし、中級をはるかに超える上級の登山ルートは取り扱わない事とする]
カネシ:なるほど。ピックアップされた山ごとに特徴が書かれているのか。中級が上限で星の数だけ難易度が高く、最大値は星4つ。
本:上信越・尾瀬
至仏山(しぶつざん)[初級][日帰り]
技術☆☆体力☆☆
カネシ:前々から気になっていた至仏山は初級か。日帰りなら軽荷で楽しめる上に、残雪期限定のルートは魅力的だな。
本:北アルプス
奥穂高岳(おくほだかだけ)[中級][2泊3日]
技術☆☆☆☆体力☆☆☆☆
カネシ:北アルプス…。技術、体力、共に上限の星4つ。いつかは行ってみたい憧れの山。まあ、無理だよな。
本:北海道
利尻山(りしりざん)[中級][日帰り]
技術☆☆☆☆体力☆☆☆
カネシ:おどろいた。去年登った利尻山は中級か。日帰りだけど行程も長くて大変だったからな。俺たちよく頑張ったよ。でも、技術的に奥穂高岳と同レベルであれば、残雪の北アルプスもチャレンジ可能って事になるぞ。
本:[中級は、ルートの所要時間が長いか、もしくはピッケル、アイゼンを本格的に使用する]
カネシ:フムフム。つまり利尻山の所要時間の長さに加えて、どれだけ険しいルートなのか。そこが奥穂高岳を踏破するポイントって事か。ピッケル、アイゼンを本格的に使用するって、いったい何だろう。
本:[山頂手前の雪壁(せっぺき)でのアイゼンワーク。また、長い急斜面と雪壁で体力を使う]
これまで登ってきた残雪登山から、「ピッケル、アイゼンを本格的に使用する」一歩進んだ登山がある。今回は、奥穂高岳に行く事でそこに一歩踏み込む登山旅を目論んだ。どうやらアルパインクライミングの技術が無い我々でも、横尾(よこお)から涸沢(からさわ)経由で山頂に向かう一般的なルートなら、調べていくうちに踏破のチャンスがありそうだと分かった。各チェックポイントの横尾、涸沢、そして山頂手前の白出(しらだし)のコルには順番に、横尾山荘、涸沢ヒュッテ、穂高岳山荘と、悪天候時にもエスケープ可能な山荘が、登山道3時間おきに点在していて、情報収集と水や食料の調達も可能。雪壁をなんとか攻略する必要はあるが、現地でムリだと判断した場合は、ピークハントを諦めればいい。行って確かめてみなきゃ身の丈に合った登山かどうかも分からないし、それに去年は利尻山を踏破した経験もある。なんとか奥穂高岳に挑むイメージが湧いてきた。残雪の穂高連峰に向かう事にした。
これまで登ってきた残雪登山から、「ピッケル、アイゼンを本格的に使用する」一歩進んだ登山がある。今回は、奥穂高岳に行く事でそこに一歩踏み込む登山旅を目論んだ。どうやらアルパインクライミングの技術が無い我々でも、横尾(よこお)から涸沢(からさわ)経由で山頂に向かう一般的なルートなら、調べていくうちに踏破のチャンスがありそうだと分かった。各チェックポイントの横尾、涸沢、そして山頂手前の白出(しらだし)のコルには順番に、横尾山荘、涸沢ヒュッテ、穂高岳山荘と、悪天候時にもエスケープ可能な山荘が、登山道3時間おきに点在していて、情報収集と水や食料の調達も可能。雪壁をなんとか攻略する必要はあるが、現地でムリだと判断した場合は、ピークハントを諦めればいい。行って確かめてみなきゃ身の丈に合った登山かどうかも分からないし、それに去年は利尻山を踏破した経験もある。なんとか奥穂高岳に挑むイメージが湧いてきた。残雪の穂高連峰に向かう事にした。
1st day 5/3

松本電鉄上高地線・終点の新島々(しんしましま)駅を出発したシャトルバスは、北アルプス南部の上高地バスターミナルへ午後12時30頃、到着した。さっそく目に飛び込んできたのは残雪をまとった穂高連峰の山並みだ。中央の広がりは岳沢で、左から西穂高岳、手前に高いのはジャンダルム。そして我らが奥穂高岳、右に前穂高岳が見えている。正直、登り始める前の、いつものワクワク感よりは「ついに来てしまった」という小心者の不安の方が強かった。行楽日和で賑わう中、準備を整えて登山届を提出する。ともあれ登山旅の初日は、宿泊地の横尾まで約3時間のハイキング。ビジターセンターを過ぎ明神橋(みょうじんばし)を抜けた辺りで、奥上高地自然探勝路(おくかみこうちしぜんたんしょうろ)に切り替わる。


松本電鉄上高地線・終点の新島々(しんしましま)駅を出発したシャトルバスは、北アルプス南部の上高地バスターミナルへ午後12時30頃、到着した。さっそく目に飛び込んできたのは残雪をまとった穂高連峰の山並みだ。中央の広がりは岳沢で、左から西穂高岳、手前に高いのはジャンダルム。そして我らが奥穂高岳、右に前穂高岳が見えている。正直、登り始める前の、いつものワクワク感よりは「ついに来てしまった」という小心者の不安の方が強かった。行楽日和で賑わう中、準備を整えて登山届を提出する。ともあれ登山旅の初日は、宿泊地の横尾まで約3時間のハイキング。ビジターセンターを過ぎ明神橋(みょうじんばし)を抜けた辺りで、奥上高地自然探勝路(おくかみこうちしぜんたんしょうろ)に切り替わる。



1日目の行程
上高地バスターミナル→徳沢→横尾山荘
1日目の行程
上高地バスターミナル→徳沢→横尾山荘



外国人ハイカー達も多く、あいさつを交わしながら、飛びきり澄んだ湿地帯の池や針葉樹の森を進む。ここ上高地は、古くは「神河内」と表記されていたそうだ。梓川(あずさがわ)と共に続く探勝路の左手には、御神体・明神岳(みょうじんだけ)の姿。「クマに注意」と表記されたカンバンの側を、人懐っこいサルがこっち向いて人間観察していたり、休憩を兼ねて立ち寄った 徳澤園(とくさわえん)には 食堂やカフェの他、ショップも併設されていて、自然に近く、でも都会と遠すぎない。気持ちの良いハイキングコースだった。
外国人ハイカー達も多く、あいさつを交わしながら、飛びきり澄んだ湿地帯の池や針葉樹の森を進む。ここ上高地は、古くは「神河内」と表記されていたそうだ。梓川(あずさがわ)と共に続く探勝路の左手には、御神体・明神岳(みょうじんだけ)の姿。「クマに注意」と表記されたカンバンの側を、人懐っこいサルがこっち向いて人間観察していたり、休憩を兼ねて立ち寄った 徳澤園(とくさわえん)には 食堂やカフェの他、ショップも併設されていて、自然に近く、でも都会と遠すぎない。気持ちの良いハイキングコースだった。











樹林を抜けて日も落ちてきた17時頃、横尾野営場(よこおやえいじょう)に着くと、ニコニコした愛嬌のある青年が声を掛けてきた。赤と黄色の防寒着には「長野県警察」の文字。5月の連休中に駐在している山岳遭難救助隊(さんがくそうなんきゅうじょたい)だ。(※長野県、富山県、岐阜県などの山岳が存在する県では、人命救助・山の治安維持の為に作つくられた警察官の特別チームが存在する。)14時以降は横尾から先、涸沢への移動を規制していて、若き隊員は我々の行程を聞くなり、(※我々は横尾泊まりである)ホッと胸を撫で下ろしていた。残雪期は特に移動時間が予定よりも長くなりがちで、余裕をもって行動するようにとの事だった。すると後方から6名の団体がやってくる。20代のアジア風外国人達はテント泊の装備を背負い、このまま涸沢まで行くらしく、早速若き隊員の指導が入る。北アルプスは隊員達によって守られていた。

樹林を抜けて日も落ちてきた17時頃、横尾野営場(よこおやえいじょう)に着くと、ニコニコした愛嬌のある青年が声を掛けてきた。赤と黄色の防寒着には「長野県警察」の文字。5月の連休中に駐在している山岳遭難救助隊(さんがくそうなんきゅうじょたい)だ。(※長野県、富山県、岐阜県などの山岳が存在する県では、人命救助・山の治安維持の為に作つくられた警察官の特別チームが存在する。)14時以降は横尾から先、涸沢への移動を規制していて、若き隊員は我々の行程を聞くなり、(※我々は横尾泊まりである)ホッと胸を撫で下ろしていた。残雪期は特に移動時間が予定よりも長くなりがちで、余裕をもって行動するようにとの事だった。すると後方から6名の団体がやってくる。20代のアジア風外国人達はテント泊の装備を背負い、このまま涸沢まで行くらしく、早速若き隊員の指導が入る。北アルプスは隊員達によって守られていた。




上高地観光の境界に立つ横尾山荘は、穂高岳や槍ヶ岳、蝶ヶ岳(ちょうがたけ)や常念岳(じょうねんだけ)にアクセスが可能で、登山者にとって発信基地のような存在だ。「悠湯館」と名付けられた別棟の浴場で湯に浸かり汗を流すと、ここが山域だと忘れてしまうほど心地よい。残念ながら明日の早朝から前線が通過する影響を受け、北アルプス南部の天気は良くない。穂高連峰も4日から5日の朝に掛けて冷え込みが激しく、特に標高の高い稜線付近では強風の予報。明日の出発に影響がないか心配だ。湯冷ましに、鯉のぼりが泳ぐ横尾大橋で川の流れる音を聞いていた。梓川の源流は槍ヶ岳の槍沢(やりさわ)である。川の先が百名山の槍ヶ岳に、梓川に掛かるこの橋を渡れば、我々の目標、奥穂高岳へと本格的に登山道が始まる。遠足気分はここまで。気持ちを切り替えて明日は登りたい。


上高地観光の境界に立つ横尾山荘は、穂高岳や槍ヶ岳、蝶ヶ岳(ちょうがたけ)や常念岳(じょうねんだけ)にアクセスが可能で、登山者にとって発信基地のような存在だ。「悠湯館」と名付けられた別棟の浴場で湯に浸かり汗を流すと、ここが山域だと忘れてしまうほど心地よい。残念ながら明日の早朝から前線が通過する影響を受け、北アルプス南部の天気は良くない。穂高連峰も4日から5日の朝に掛けて冷え込みが激しく、特に標高の高い稜線付近では強風の予報。明日の出発に影響がないか心配だ。湯冷ましに、鯉のぼりが泳ぐ横尾大橋で川の流れる音を聞いていた。梓川の源流は槍ヶ岳の槍沢(やりさわ)である。川の先が百名山の槍ヶ岳に、梓川に掛かるこの橋を渡れば、我々の目標、奥穂高岳へと本格的に登山道が始まる。遠足気分はここまで。気持ちを切り替えて明日は登りたい。








2nd day 5/4
2日目の行程
横尾山荘→涸沢ヒュッテ→穂高岳山荘→奥穂高岳山頂→穂高岳山荘
2日目の行程
横尾山荘→涸沢ヒュッテ→穂高岳山荘→奥穂高岳山頂→穂高岳山荘


午前4時。夜中の内に降っていた雨は止み、山域には雲が覆い被さる。日中とはまた違う厳(おごそ)かな横尾の景色だった。風は穏やかで出発は問題無さそうだ。今日の行程は、横尾山荘から涸沢まで約3時間掛けて移動。充分に休憩した後、またもや3時間掛けて雪の斜面を進み白出のコル(穂高岳山荘)にたどり着く。稜線が強風で荒れている場合は、様子をみて今日か明日5/5の朝、奥穂高岳をピークハントする。出発前、我々のことを気遣って救助隊の若き隊員が、再度声を掛けてきた。行先の奥穂高岳への注意点として「明日5/5の下山時、白出のコルから涸沢に下る際には、前線の影響を受けて斜面が凍結している可能性があるから十分気をつけること。道中はくれぐれもムリはしないように」との事だった。

午前4時。夜中の内に降っていた雨は止み、山域には雲が覆い被さる。日中とはまた違う厳(おごそ)かな横尾の景色だった。風は穏やかで出発は問題無さそうだ。今日の行程は、横尾山荘から涸沢まで約3時間掛けて移動。充分に休憩した後、またもや3時間掛けて雪の斜面を進み白出のコル(穂高岳山荘)にたどり着く。稜線が強風で荒れている場合は、様子をみて今日か明日5/5の朝、奥穂高岳をピークハントする。出発前、我々のことを気遣って救助隊の若き隊員が、再度声を掛けてきた。行先の奥穂高岳への注意点として「明日5/5の下山時、白出のコルから涸沢に下る際には、前線の影響を受けて斜面が凍結している可能性があるから十分気をつけること。道中はくれぐれもムリはしないように」との事だった。





横尾大橋を渡る。登山道は広い河原から針葉樹の森へと変わり、静寂(せいじゃく)な雰囲気に渓流(けいりゅう)の音が響く。昨夜の雨でグズグズになった雪や水溜りの道筋も、徐々に雪が多く残るようになる。進行方向左手、林間(りんかん)から垣間見える屏風岩(びょうぶいわ)は、岩壁高さが600mにも達する。この屏風岩を反時計回りに巻き込むように谷に沿って登山道は続く。登り始めてから約1時間が過ぎ、本谷橋(ほんたにばし)を通過すると雪量の多さからアイゼンを装着した。本谷出合(ほんたにであい)は誤って横尾本谷(よこおほんたに)に迷い込まないように、若き隊員のアドバイス通り、左手の涸沢へと舵を切る。この辺りから、高低差の強い斜面を突き進む残雪登山道へ突入して、息を弾ませながらメンバー同士、お互いマイペースで進む。


横尾大橋を渡る。登山道は広い河原から針葉樹の森へと変わり、静寂(せいじゃく)な雰囲気に渓流(けいりゅう)の音が響く。昨夜の雨でグズグズになった雪や水溜りの道筋も、徐々に雪が多く残るようになる。進行方向左手、林間(りんかん)から垣間見える屏風岩(びょうぶいわ)は、岩壁高さが600mにも達する。この屏風岩を反時計回りに巻き込むように谷に沿って登山道は続く。登り始めてから約1時間が過ぎ、本谷橋(ほんたにばし)を通過すると雪量の多さからアイゼンを装着した。本谷出合(ほんたにであい)は誤って横尾本谷(よこおほんたに)に迷い込まないように、若き隊員のアドバイス通り、左手の涸沢へと舵を切る。この辺りから、高低差の強い斜面を突き進む残雪登山道へ突入して、息を弾ませながらメンバー同士、お互いマイペースで進む。















丁度良い具合にせり出した岩が、休憩場所にピッタリだ。メンバーと足踏みを揃えるため小休止する。雲は皮一枚で穂高連峰を覆っているので、曇り空の隙を縫って太陽が現れると、「晴れてくれ〜」と願わずにはいられない。例年に比べ、今年の北アルプスは2〜3mほど雪量が多く残っているそうだ。今日みたいな曇り空であれば、雪は腐らず足を取られる心配は無い反面、休憩で止まってしまうとすぐに体が冷える。涸沢まで残りあと1時間程度。景気付けにチョコレートを食べてから前に進む。ようやく視界の奥に建物の屋根らしきが見え始め、辺り一面真っ白な、雪の斜面に覆われた景色が広がった。待ち遠しかった涸沢カールだ。道標(みちしるべ)の立つ分岐道を左手に進み、午前9時頃、涸沢ヒュッテにたどり着いた。

丁度良い具合にせり出した岩が、休憩場所にピッタリだ。メンバーと足踏みを揃えるため小休止する。雲は皮一枚で穂高連峰を覆っているので、曇り空の隙を縫って太陽が現れると、「晴れてくれ〜」と願わずにはいられない。例年に比べ、今年の北アルプスは2〜3mほど雪量が多く残っているそうだ。今日みたいな曇り空であれば、雪は腐らず足を取られる心配は無い反面、休憩で止まってしまうとすぐに体が冷える。涸沢まで残りあと1時間程度。景気付けにチョコレートを食べてから前に進む。ようやく視界の奥に建物の屋根らしきが見え始め、辺り一面真っ白な、雪の斜面に覆われた景色が広がった。待ち遠しかった涸沢カールだ。道標(みちしるべ)の立つ分岐道を左手に進み、午前9時頃、涸沢ヒュッテにたどり着いた。












涸沢ヒュッテは、涸沢カールの底の部分にあたる、小高いモレーンに立つ山荘で、雪対策を重ねながら本館、別館、新館と増設して現在の分棟配置になったそうだ。一般開放している展望デッキに上がり腰を下ろすと、重たいザックとアイゼンから身体が解放されて、ホッと一息ついた。残念ながらガス掛かっていて、奥穂高岳山頂の姿は確認できず、その頂に向かおうと、遠くに小さなアリのような登山者達が、真っ白な急斜面をせっせと進んでいく。「あそこ」を登るのかと思うと、なかなか決心がつかないというか、しばらく他人事のように眺めていた。この斜面に沿って縦に伸びる岩の塊がザイテングラード(※ドイツ語で支稜を指す)だ。岩場を進む夏道とは異なり、今回はザイテングラードを右側に迂回して、雪道を踏破する。


涸沢ヒュッテは、涸沢カールの底の部分にあたる、小高いモレーンに立つ山荘で、雪対策を重ねながら本館、別館、新館と増設して現在の分棟配置になったそうだ。一般開放している展望デッキに上がり腰を下ろすと、重たいザックとアイゼンから身体が解放されて、ホッと一息ついた。残念ながらガス掛かっていて、奥穂高岳山頂の姿は確認できず、その頂に向かおうと、遠くに小さなアリのような登山者達が、真っ白な急斜面をせっせと進んでいく。「あそこ」を登るのかと思うと、なかなか決心がつかないというか、しばらく他人事のように眺めていた。この斜面に沿って縦に伸びる岩の塊がザイテングラード(※ドイツ語で支稜を指す)だ。岩場を進む夏道とは異なり、今回はザイテングラードを右側に迂回して、雪道を踏破する。




パノラマ売店で頼んだホットカルピスを飲みながら次の行程について話しあう。肩と膝の調子が悪い平原さんは、ここから別行動を取る事にした。くやしいが、若き隊員のアドバイス通り「道中ムリはしない」お互い無事下山して、明日の昼過ぎ、上高地で落ち合う約束を交わした。午前10時。平原さんに見送られ涸沢を出発する。途中、ザックを広げる余裕は無さそうなので防寒対策とヘルメットの着用、チョコや行動食を有りったけポケットに移しておいた。(※涸沢から先はヘルメット推奨地区である)右手にはカール内に営業するもう一つの山荘、涸沢小屋(からさわごや)から同じく北穂高岳南稜(きたほたかだけなんりょう)を目指す人々の姿。あちらもかなり険しそうだ。ここから中継地点のザイテングラード取付点までは1時間30分ほど掛かる。

パノラマ売店で頼んだホットカルピスを飲みながら次の行程について話しあう。肩と膝の調子が悪い平原さんは、ここから別行動を取る事にした。くやしいが、若き隊員のアドバイス通り「道中ムリはしない」お互い無事下山して、明日の昼過ぎ、上高地で落ち合う約束を交わした。午前10時。平原さんに見送られ涸沢を出発する。途中、ザックを広げる余裕は無さそうなので防寒対策とヘルメットの着用、チョコや行動食を有りったけポケットに移しておいた。(※涸沢から先はヘルメット推奨地区である)右手にはカール内に営業するもう一つの山荘、涸沢小屋(からさわごや)から同じく北穂高岳南稜(きたほたかだけなんりょう)を目指す人々の姿。あちらもかなり険しそうだ。ここから中継地点のザイテングラード取付点までは1時間30分ほど掛かる。




いくつかのパーティーが滑落停止の予行練習をしていた。それぐらい気の抜けない角度の斜面ってことだ。コースに刻まれたトレースをありがたく使わせてもらうが、数回に一度ズルっと雪が崩れるのでヒヤヒヤする。ペットボトルなんて落としたら最後。とても涸沢まで取りに戻る気にはなれない。進むにつれて分かったのは雪量のせいか斜面の角度が一定ではなく、取付点まで何度か緩く休める部分がある。そこを目標に、急がすマイペースを貫く。いつの間にか松本方面が晴れわたり、常念山脈(じょうねんさんみゃく)の主峰が姿を現していた。どっしりとした、ピラミッド型の常念岳は標高2857m。3年前の残雪登山で初めてアイゼンを使用した、思い出の山だ。


いくつかのパーティーが滑落停止の予行練習をしていた。それぐらい気の抜けない角度の斜面ってことだ。コースに刻まれたトレースをありがたく使わせてもらうが、数回に一度ズルっと雪が崩れるのでヒヤヒヤする。ペットボトルなんて落としたら最後。とても涸沢まで取りに戻る気にはなれない。進むにつれて分かったのは雪量のせいか斜面の角度が一定ではなく、取付点まで何度か緩く休める部分がある。そこを目標に、急がすマイペースを貫く。いつの間にか松本方面が晴れわたり、常念山脈(じょうねんさんみゃく)の主峰が姿を現していた。どっしりとした、ピラミッド型の常念岳は標高2857m。3年前の残雪登山で初めてアイゼンを使用した、思い出の山だ。








ようやく中間のザイテングラード取付点に並ぶことができた。ゴツゴツした岩の帯(おび)が頂上に向かって伸びていて、夏道はこの岩をよじ登って進むなんて想像もつかない。白出のコルまで残り1時間30分ほど。見上げると斜面は更に角度がキツく、雪道もこれからが正念場である。2、3歩進むだけですぐに息が上がってしまい、呼吸は整えられても、踏ん張りを効かせたままでは、脚の疲労が抜けなくなってきた。風に乗ってザラメ雪が上方から斜面を伝って降り注ぐと、まるでガラスの破片が舞うようにパラパラと辺り一帯に鳴り響く。(※ザラメ雪。日中に融解した雪が夜間に再凍結し、ざらざらとした氷粒になった雪)

ようやく中間のザイテングラード取付点に並ぶことができた。ゴツゴツした岩の帯(おび)が頂上に向かって伸びていて、夏道はこの岩をよじ登って進むなんて想像もつかない。白出のコルまで残り1時間30分ほど。見上げると斜面は更に角度がキツく、雪道もこれからが正念場である。2、3歩進むだけですぐに息が上がってしまい、呼吸は整えられても、踏ん張りを効かせたままでは、脚の疲労が抜けなくなってきた。風に乗ってザラメ雪が上方から斜面を伝って降り注ぐと、まるでガラスの破片が舞うようにパラパラと辺り一帯に鳴り響く。(※ザラメ雪。日中に融解した雪が夜間に再凍結し、ざらざらとした氷粒になった雪)


並走してきたザイテングラードが雪に埋もれて姿を消した頃、振り返るのが怖いぐらい高度が上がってきた。もう足が限界だ。ザックは背負ったまま、なんとか斜面に背を向けて、足を伸ばして力を抜く。見上げると斜面の終わりに近づいていて、青空と雪の境界線から登山者が下山してきた。思わず息を切らしたまま、声をかける。40代ぐらいの女性は「そうです。あの先が白出のコル。穂高岳山荘はもうすぐですよ、頑張って」と励ましの言葉をいただき、とても嬉しかった。午後13時半頃、ついに白出のコルにたどり着いた。


並走してきたザイテングラードが雪に埋もれて姿を消した頃、振り返るのが怖いぐらい高度が上がってきた。もう足が限界だ。ザックは背負ったまま、なんとか斜面に背を向けて、足を伸ばして力を抜く。見上げると斜面の終わりに近づいていて、青空と雪の境界線から登山者が下山してきた。思わず息を切らしたまま、声をかける。40代ぐらいの女性は「そうです。あの先が白出のコル。穂高岳山荘はもうすぐですよ、頑張って」と励ましの言葉をいただき、とても嬉しかった。午後13時半頃、ついに白出のコルにたどり着いた。


穂高岳山荘は、2023年に100周年を迎えた歴史ある山荘だ。収容人数が250名と規模も大きく、こんな鞍部(あんぶ)の険しい場所によく建てたものだと思う。中に入ると、薄暗く雰囲気たっぷりのロビーには、宿泊者が何名か暖炉でくつろいでいた。カウンターで1人キャンセルしたいと伝え、3人分のチェックインを済ませる。仕方ないとは言え、当日のキャンセルは食品ロスにつながる行為。申し訳ない。ようやく一息つけそうだ。涸沢の雪解け水である「天命水」を沸かして、昼食の準備に取り掛かる。このような環境下でも飲み水を調達出来るのはありがたい。依然として山頂付近は雲に覆われていて風も強く、残すは1時間30分のピークハントのみ。明日の朝に持ち越した場合は、冷え込みによる斜面凍結の方が心配だ。十分休憩した午後15時頃、出発する事にした。

穂高岳山荘は、2023年に100周年を迎えた歴史ある山荘だ。収容人数が250名と規模も大きく、こんな鞍部(あんぶ)の険しい場所によく建てたものだと思う。中に入ると、薄暗く雰囲気たっぷりのロビーには、宿泊者が何名か暖炉でくつろいでいた。カウンターで1人キャンセルしたいと伝え、3人分のチェックインを済ませる。仕方ないとは言え、当日のキャンセルは食品ロスにつながる行為。申し訳ない。ようやく一息つけそうだ。涸沢の雪解け水である「天命水」を沸かして、昼食の準備に取り掛かる。このような環境下でも飲み水を調達出来るのはありがたい。依然として山頂付近は雲に覆われていて風も強く、残すは1時間30分のピークハントのみ。明日の朝に持ち越した場合は、冷え込みによる斜面凍結の方が心配だ。十分休憩した午後15時頃、出発する事にした。






この寒い中、黄色と赤の防寒着を着た男が立っていた。無論、山岳遭難救助隊だ。隊員はスラリとした高身長にあごひげが生えた精悍(せいかん)な顔付きで、山頂へ向かう登山者達に指導していた。「雪壁に登られますか」と聞かれ、話は続く。「登り口で梯子・鎖を登ると、すぐに一つ目の雪壁です。アイゼンワークに不安のある方は、なるべく中央を登ってください。万が一スリップしても、あそこに見えるネットに掛かり、助かる可能性があります。ですが斜面の端を、岩場寄りに進む方がいらっしゃいますが、スリップした場合、ネットの範囲外ですから、あまりお勧めしません。十分気をつけて下さい」と、丁寧なアドバイスを頂いた。見上げると確かに網が張ってある。防球ネットのようなきめ細やかなものではなく、頭が通るぐらい荒目の、あやとりの4段はしごみたいなイメージだ。


この寒い中、黄色と赤の防寒着を着た男が立っていた。無論、山岳遭難救助隊だ。隊員はスラリとした高身長にあごひげが生えた精悍(せいかん)な顔付きで、山頂へ向かう登山者達に指導していた。「雪壁に登られますか」と聞かれ、話は続く。「登り口で梯子・鎖を登ると、すぐに一つ目の雪壁です。アイゼンワークに不安のある方は、なるべく中央を登ってください。万が一スリップしても、あそこに見えるネットに掛かり、助かる可能性があります。ですが斜面の端を、岩場寄りに進む方がいらっしゃいますが、スリップした場合、ネットの範囲外ですから、あまりお勧めしません。十分気をつけて下さい」と、丁寧なアドバイスを頂いた。見上げると確かに網が張ってある。防球ネットのようなきめ細やかなものではなく、頭が通るぐらい荒目の、あやとりの4段はしごみたいなイメージだ。


万が一にもピッケルを失ってはいけない。リーシュコードを肩に掛けて落ちないように感触を確かめてから登り始める。鎖と鉄製のハシゴは、二重手袋の上からでもドライアイスのように冷たい。アイゼンを引っ掛けないように注意して進むと、すぐに一つ目の雪壁だ。斜面に残る浅いステップ(足跡)を頼りに、アイゼンのつま先でガリガリ削って足元を確保する。右手のピッケルを斜面に指して、次に左足、右足と焦らず慎重に、斜面に爪が噛んでいるのを確認する。空いた左手は何か手掛かりに掴(つか)まりたくて、ネットの範囲外だと分かっていても、自然と体は左端の岩場に寄ってしまう。隊員には悪いが、とてもじゃ無いけど雪壁の中央には怖くて行けなかった。このまま左手は岩場を手掛かりに登る事にした。
万が一にもピッケルを失ってはいけない。リーシュコードを肩に掛けて落ちないように感触を確かめてから登り始める。鎖と鉄製のハシゴは、二重手袋の上からでもドライアイスのように冷たい。アイゼンを引っ掛けないように注意して進むと、すぐに一つ目の雪壁だ。斜面に残る浅いステップ(足跡)を頼りに、アイゼンのつま先でガリガリ削って足元を確保する。右手のピッケルを斜面に指して、次に左足、右足と焦らず慎重に、斜面に爪が噛んでいるのを確認する。空いた左手は何か手掛かりに掴(つか)まりたくて、ネットの範囲外だと分かっていても、自然と体は左端の岩場に寄ってしまう。隊員には悪いが、とてもじゃ無いけど雪壁の中央には怖くて行けなかった。このまま左手は岩場を手掛かりに登る事にした。
雪壁を登り切ると傾斜が緩み、雪と岩の稜線(りょうせん)に導かれるまま前に進んだ。先の見えない登山道を飛騨側から更に強く風が吹きつける。もうトレースも無ければすれ違う登山者もいない。2つ目の雪壁は1つ目よりは短く、要領を得たはずだったが、今度は硬くて雪面にピッケルが刺さり辛い。岩稜帯とも相まってルート取りが難しかった。これ以上険しいと「戻れないんじゃないか」と不安になる。コースタイムではもう山頂についても良い頃だ。すると15メートルほど先、先頭の相馬さんが高い位置から手を振っているのが見えてホッとした。すでに山頂手前に来ていたようだ。

雪壁を登り切ると傾斜が緩み、雪と岩の稜線(りょうせん)に導かれるまま前に進んだ。先の見えない登山道を飛騨側から更に強く風が吹きつける。もうトレースも無ければすれ違う登山者もいない。2つ目の雪壁は1つ目よりは短く、要領を得たはずだったが、今度は硬くて雪面にピッケルが刺さり辛い。岩稜帯とも相まってルート取りが難しかった。これ以上険しいと「戻れないんじゃないか」と不安になる。コースタイムではもう山頂についても良い頃だ。すると15メートルほど先、先頭の相馬さんが高い位置から手を振っているのが見えてホッとした。すでに山頂手前に来ていたようだ。




山頂には立派な方位盤(ほういばん)が設置してある。晴れていれば、ぜひ360度の景色を一望してみたかった。周囲の岩や奥穂高神社の嶺宮(れいきゅう)にはビッシリと氷雪(ひょうせつ)が鱗(うろこ)のように風の吹く方向へと張り付いている。日本第3位の標高、奥穂高岳山頂はとても5月初夏の始まりとは思えない、凍てつく世界だった。山頂標識にくっ付いた氷を、ピッケルで丁寧(ていねい)に傷付けないように小削ぎ落として「奥穂高岳3190m」の文字を写真に収める。眺望がない以上、長居は無用。天候がさらに悪くなる可能性もある。道筋を忘れないうちに下山する事にした。

山頂には立派な方位盤(ほういばん)が設置してある。晴れていれば、ぜひ360度の景色を一望してみたかった。周囲の岩や奥穂高神社の嶺宮(れいきゅう)にはビッシリと氷雪(ひょうせつ)が鱗(うろこ)のように風の吹く方向へと張り付いている。日本第3位の標高、奥穂高岳山頂はとても5月初夏の始まりとは思えない、凍てつく世界だった。山頂標識にくっ付いた氷を、ピッケルで丁寧(ていねい)に傷付けないように小削ぎ落として「奥穂高岳3190m」の文字を写真に収める。眺望がない以上、長居は無用。天候がさらに悪くなる可能性もある。道筋を忘れないうちに下山する事にした。




寒さでスマートフォンがシャットダウンする。なんだかものすごく山荘が恋しくなってきた。こういう時こそ、焦らず慎重に下山が必要だ。来た道かどうか不安で、1番手の相馬さんに「合ってますかー」と大声を挙げても、直ぐに強風でかき消される。それに寒さで口が固まってしまい喋りづらく、口をモゴモゴ動かして、やっと相馬さんを呼び止めた。「そっちからでも行けるよー」という具合で、2番手の私はできるだけ雪壁の距離が短くなる岩場を信じて進む。雪と岩ばかりで、来た道か判断がつかない上に、雪壁は降りの方がより恐怖感がすごい。3番手の鈴木さんは、迷わす雪壁を、斜面上方に顔を向けてバックステップでセッセと降りだすので、あっという間に追い越されてしまった。ようやく眼下に穂高岳山荘の赤い屋根が現れて、残るは最後の長い雪壁を降るのみ。3番手の私は、雪壁の中央を順調に降る鈴木さんを見守っていた。けれども、バックステップの体制を変えようと斜面に背を向けた瞬間、鈴木さんはスリップした。「あッ!」驚く間もなく、そのまま5メートルほど滑落すると、幸運にもネットに掛かり一命を取り留めた。「大丈夫ですかーッ」…手を振って合図した鈴木さんは、そのままネットを足場代わりに、こちら側へ生還できた。幸いケガもなく午後4時40分頃、無事に山荘へ戻ってきた。北アルプスの厳しさを存分に思い知らされた1日だった。
寒さでスマートフォンがシャットダウンする。なんだかものすごく山荘が恋しくなってきた。こういう時こそ、焦らず慎重に下山が必要だ。来た道かどうか不安で、1番手の相馬さんに「合ってますかー」と大声を挙げても、直ぐに強風でかき消される。それに寒さで口が固まってしまい喋りづらく、口をモゴモゴ動かして、やっと相馬さんを呼び止めた。「そっちからでも行けるよー」という具合で、2番手の私はできるだけ雪壁の距離が短くなる岩場を信じて進む。雪と岩ばかりで、来た道か判断がつかない上に、雪壁は降りの方がより恐怖感がすごい。3番手の鈴木さんは、迷わす雪壁を、斜面上方に顔を向けてバックステップでセッセと降りだすので、あっという間に追い越されてしまった。

ようやく眼下に穂高岳山荘の赤い屋根が現れて、残るは最後の長い雪壁を降るのみ。3番手の私は、雪壁の中央を順調に降る鈴木さんを見守っていた。けれども、バックステップの体制を変えようと斜面に背を向けた瞬間、鈴木さんはスリップした。「あッ!」驚く間もなく、そのまま5メートルほど滑落すると、幸運にもネットに掛かり一命を取り留めた。「大丈夫ですかーッ」…手を振って合図した鈴木さんは、そのままネットを足場代わりに、こちら側へ生還できた。幸いケガもなく午後4時40分頃、無事に山荘へ戻ってきた。北アルプスの厳しさを存分に思い知らされた1日だった。


着替えて一息ついた後、食事室へ向かった。食事は17時集合。スタッフの方が忙しそうに点呼していたので、3人分の券を差し出す。「券は記念にお持ち帰り下さい」と粋な対応をしてくれた。夕食後は寝室「北岳」で横になっていた。すると、やっと穂高連峰を覆う雲が晴れて、窓から夕陽がさして来た。太陽の濃いオレンジが山荘中に溢れて、登山者たちはそれぞれ自身が気に入った場所から、リラックスした気分で眺めている。と思いきや、この機を逃さんとばかりに再度、山頂へ向かう猛者にはおもわず舌を巻いた。実は前線通過の天気予報発表後、満室だった穂高岳山荘の5/4 のWeb予約はみるみるうちに空室に変わった。北アルプスは天候次第でより厳しい環境になる事を皆知っていたんだと思う。平原さんは無事下山できただろうか。皆で来れなかった事だけが心残りだった。

着替えて一息ついた後、食事室へ向かった。食事は17時集合。スタッフの方が忙しそうに点呼していたので、3人分の券を差し出す。「券は記念にお持ち帰り下さい」と粋な対応をしてくれた。夕食後は寝室「北岳」で横になっていた。すると、やっと穂高連峰を覆う雲が晴れて、窓から夕陽がさして来た。太陽の濃いオレンジが山荘中に溢れて、登山者たちはそれぞれ自身が気に入った場所から、リラックスした気分で眺めている。と思いきや、この機を逃さんとばかりに再度、山頂へ向かう猛者にはおもわず舌を巻いた。実は前線通過の天気予報発表後、満室だった穂高岳山荘の5/4 のWeb予約はみるみるうちに空室に変わった。北アルプスは天候次第でより厳しい環境になる事を皆知っていたんだと思う。平原さんは無事下山できただろうか。皆で来れなかった事だけが心残りだった。













3rd day 5/5
寒さで背筋が震える、寝付けない夜だった。3日目である今日の行程は、穂高岳山荘から涸沢、横尾、上高地へと来た道を一気に下山する。特に白出のコル〜涸沢間は冷え込みによる斜面凍結の可能性を考えねばならない。凍った雪の斜面をスリップしてしまえば、それこそ涸沢まで一気に滑落する。朝は快晴。山荘から頂いたお弁当は、下山してからのお楽しみに取っておいた。穂高岳山荘を後に、涸沢へ向けて出発する。

寒さで背筋が震える、寝付けない夜だった。3日目である今日の行程は、穂高岳山荘から涸沢、横尾、上高地へと来た道を一気に下山する。特に白出のコル〜涸沢間は冷え込みによる斜面凍結の可能性を考えねばならない。凍った雪の斜面をスリップしてしまえば、それこそ涸沢まで一気に滑落する。朝は快晴。山荘から頂いたお弁当は、下山してからのお楽しみに取っておいた。穂高岳山荘を後に、涸沢へ向けて出発する。




3日目の行程
穂高岳山荘→涸沢ヒュッテ→横尾山荘→上高地バスターミナル
3日目の行程
穂高岳山荘→涸沢ヒュッテ→横尾山荘→上高地バスターミナル

斜面へ慎重に一歩踏み出す。パリッパリッと、まるで焼き菓子みたいな音を鳴らして雪は沈む。どうやら凍ったのは表面だけ。心配には及ばず、肩の荷が下りた気がした。気持ちに余裕が生まれて周囲を見回すと、常念山脈や眼下に広がる涸沢カールが、やわらかな朝日に照らされて黄金色に輝いていた。涸沢から登山者が息を切らせて登ってくる。登りのキツさがわかっている分だけ、笑顔で挨拶を交わす。「昨日は全然ダメでしたが、今日は山頂からの景色が良さそうですね」と密かにバトンを渡した。やっぱり登山は天気に限る。パリッ。パリッと、クセになりそうな感触と音を鳴らしながら、涸沢が近づいてくるのを惜しみながら、最後まで景色を楽しんだ。


斜面へ慎重に一歩踏み出す。パリッパリッと、まるで焼き菓子みたいな音を鳴らして雪は沈む。どうやら凍ったのは表面だけ。心配には及ばず、肩の荷が下りた気がした。気持ちに余裕が生まれて周囲を見回すと、常念山脈や眼下に広がる涸沢カールが、やわらかな朝日に照らされて黄金色に輝いていた。涸沢から登山者が息を切らせて登ってくる。登りのキツさがわかっている分だけ、笑顔で挨拶を交わす。「昨日は全然ダメでしたが、今日は山頂からの景色が良さそうですね」と密かにバトンを渡した。やっぱり登山は天気に限る。パリッ。パリッと、クセになりそうな感触と音を鳴らしながら、涸沢が近づいてくるのを惜しみながら、最後まで景色を楽しんだ。







7時半頃、涸沢ヒュッテにて。ようやく平原さんとの連絡が取れた。昨日、涸沢で別れた後は、宿を求めて横尾まで下山したそうだ。ヒュッテは連休で満室。肩と腰の調子が悪い中、無事横尾山荘へたどり着いた。道中は時間が余ったことが、かえって登山をゆっくり楽しむ良い機会になったとの事。元気な平原さんにひと安心した所で、こちらも下山を急ぐ。涸沢に別れを告げて、横尾へと足を進める。残雪の登山道も今日は太陽のおかげでだいぶ暖かい。アイゼンを取り外し、横尾谷の針葉樹の森を過ぎる。すると再三、山岳遭難救助隊の若き隊員に出会う。無事山頂まで行けた事を伝えると、変わらずニコニコした愛嬌のある青年は、「上高地まで先は長いですから、最後まで気をつけて下さい」と激励してくれた。

7時半頃、涸沢ヒュッテにて。ようやく平原さんとの連絡が取れた。昨日、涸沢で別れた後は、宿を求めて横尾まで下山したそうだ。ヒュッテは連休で満室。肩と腰の調子が悪い中、無事横尾山荘へたどり着いた。道中は時間が余ったことが、かえって登山をゆっくり楽しむ良い機会になったとの事。元気な平原さんにひと安心した所で、こちらも下山を急ぐ。涸沢に別れを告げて、横尾へと足を進める。残雪の登山道も今日は太陽のおかげでだいぶ暖かい。アイゼンを取り外し、横尾谷の針葉樹の森を過ぎる。すると再三、山岳遭難救助隊の若き隊員に出会う。無事山頂まで行けた事を伝えると、変わらずニコニコした愛嬌のある青年は、「上高地まで先は長いですから、最後まで気をつけて下さい」と激励してくれた。









河原の水をすくって顔を洗い流す。目の覚める冷たさがなんとも気持ち良い。小休止していると、下山が遅れていた相馬さんも、足の痛みを堪えながらなんとか合流してきた。みんな疲れ切った、でもやり切った表情だ。横尾大橋を渡り、ここで登山道は終わる。横尾からの自然探勝路は気の遠くなるような3時間だったが、13時頃、上高地にたどり着くと、平原さんが待ちくたびれていた。言いたいことが沢山あって、互いに報告が尽きず、それからお昼に穂高岳山荘で頂いた、飛騨名物の朴葉(ほおば)ずしをベンチで食べた。行楽日和の中、遠くなってしまった穂高連峰の山並みを眺めていると、真っ白な涸沢カールや、あの凍てついた奥穂高岳の山頂が、まるでウソのような気がした。


河原の水をすくって顔を洗い流す。目の覚める冷たさがなんとも気持ち良い。小休止していると、下山が遅れていた相馬さんも、足の痛みを堪えながらなんとか合流してきた。みんな疲れ切った、でもやり切った表情だ。横尾大橋を渡り、ここで登山道は終わる。横尾からの自然探勝路は気の遠くなるような3時間だったが、13時頃、上高地にたどり着くと、平原さんが待ちくたびれていた。言いたいことが沢山あって、互いに報告が尽きず、それからお昼に穂高岳山荘で頂いた、飛騨名物の朴葉(ほおば)ずしをベンチで食べた。行楽日和の中、遠くなってしまった穂高連峰の山並みを眺めていると、真っ白な涸沢カールや、あの凍てついた奥穂高岳の山頂が、まるでウソのような気がした。















